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訴訟資料集
各審級の判決等の訴訟資料を掲載する。
また、大原訴訟は法学の世界でも 注目を集めていた事件であった。
当時の判例集や論文についてのまとめや コメントを付した。
著作権の関係で、文献を掲載することはできないが書誌情報をあげておくので、詳細に興味のある方は 直接文献を当たっていただきたい。
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第一審

判     決
大阪市港区某所
原   告       大 原   隆
右訴訟代理人弁護士  大 澤  龍 司
同          宇 多  民 夫
同          後 藤  貞 人
同          中 北  龍太郎
同          菅    充 行
同          大 川  哲 次
同          下 村  忠 利


東京都千代田区丸の内一丁目六番五号
被    告    日 本 国 有 鉄 道
右代表者総裁      高 木  文 雄
右訴訟代理人弁護士   高 野  裕 士
右訴訟代理人      辻   幸次郎
同           平 岡  武 夫
同           西 尾  保 夫
同           原 田  知 彦
同           麻 生  博 司
同           中 嶋    眞
同           高 田    隆


主     文


 被告は、原告に対し、金2056万2000円及びうち金1906万2000円に対する昭和51年8月3日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
 原告のその余の請求を棄却する。
 訴訟費用は、これを五分し、その二を被告の負担としその余を原告の負担とする。
 この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。



事     実


第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
 1 被告は、原告に対し、金5750万円及びうち金5000万円に対する昭和51年8月3日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
 2 訴訟費用は、被告の負担とする。
 3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
 1 原告の請求を棄却する。
 2 訴訟費用は原告の負担とする。
 3 担保を条件とする仮執行免脱の宣言
第二 請求原因
一 事故の発生
  原告(昭和4年1月五日生れ)は、一四歳頃から視力が衰えはじめ、昭和36年には身体障害者福祉法別表一種の一級(両眼視力が0.01以下)の認定を受け、更に昭和45年に交通事故に遭遇した結果、左目の視力零、右目はほぼ明暗を見分けられる程度の、失明に近い状態にあつたものであるが、昭和48年8月17日午後6時45分頃、国鉄大阪環状線福島駅(以下、単に福島駅という。)で、内回り電車から下車し、一たんは同駅ホーム中央部の階段を二、三段降りたが、再度ホームに引き返し、ホーム上を数歩前進したところで同駅一番線線路上に転落し、折から右一番線に進入してきた環状線内回り電車に、その両脚を轢断された(以下、本件事故という)。
二 責任原因
 1 被告は鉄道による旅客運送を業として行なうものであり、原告は、被告発行の乗車券を購入し、被告との旅客運送契約に基づいてその電車及び駅施設を利用していて本件事故に遭遇したものである。したがつて、被告には、旅客運送人として、旅客である原告の右利用につきその生命身体の安全を確保すべき運送契約上の義務があるのに、被告及びその使用人は、これを怠り、その電車や駅施設を利用中の原告を負傷させたものであるから、被告には、商法590条に基づき、本件事故により原告が被った損害を賠償する責任がある。すなわち、
 (一) 現在、視力障害者にとつても、国鉄をはじめとする公共輸送機関を利用することは、社会生活を営むうえにおいて必要不可欠であるところ、被告も、その視力障害者による利用を認めている。
交通機関の発達による輸送の大量化、高速度化は、その利用に伴う危険を著しく増大させた。駅ホームは晴眼者にとつても、転落や列車との接触等の危険を伴う場所であるが、特に、残存感覚(平衡感覚、聴覚、筋肉運動感覚、触覚、皮膚感覚等)に頼って歩行する視力障害者は、そこでは晴眼者とは比較にならないほど大きな危険にさらされることになる。しかも、ホームから転落した場合、視力障害者は、迅速に退避したりホームに戻ったりすることができないから、多くの場合、重大な結果を生ずることになる。そして、これらの点は、被告も熟知しているところである。
このような点を考えれば、その視力障害者による利用を認める被告には、単なる善良な管理者としての注意義務にとどまらず、物的施設及び人員配置について万全の措置を講じ、最高度の注意義務をはらつて、視力障害者の生命身体に対する十分な安全確保をなすべき当然の義務がある。
(二) ところで、ホーム上の視力障害者の転落等防止のためには、ホーム側端部を自ら知覚するための点字ブロックや点字タイル(以下、点字ブロック等という。)の設置は、最低限度必要である。その他、右防止のための物的施設としては、まず、ホーム側端の通行を可及的に避けるため、ホーム中央部に十分余裕のある幅員の歩行地帯を設け、更に、手摺、柵、ロープ、点字ブロック等、放送設備等を用いて、そこまで安全に誘導する方策を講ずべきであり、また、乗降の際などやむをえずホームの側端を通行する場合の安全を確保するために、転落防止の物理的施設として、ホーム側端部に、手摺、柵、ロープ等を設置し、危険告知のため、列車接近通報装置を完備すべきである。なお、ホーム全体を見渡せる立台、モニターテレビ等、ホーム上において誘導、案内を必要とする者を発見するための物的設備を設けるべきである。そして、そのような物的施設の存在と利用方法を資料障害者に周知させるよう広報活動に努めるべきである。
また、人的施設としては、ホームに上がる視力障害者を発見し、安全に誘導するに足りる数の駅員を配置すべきであり、これらの駅員には、視力障害者の安全確保に関する十分な教育と監督を行うべきである。
次に、ホームから転落した者のためには、自力避難のための退避所及びこれに誘導する補助設備や、ホームに戻る手掛り足掛りを設けるほか、ホーム上からの救助用具を考案、配置すべきである。また、ホーム上に配置された駅員は、列車の進行してくる線路場を予め点検し、転落者が存する時は、自ら救助するか、進行してくる列車に連絡して緊急停止させるべきであり、運転士は、自己の進行線路上に転落者がいないかどうかに絶えず注意して運転士、転落者を発見すれば、直ちに列車を急停車させるべきである。
そして、これらの安全確保義務は、相互に関連しており、一つが欠ければほかが加重されるという関係にあるが、そうした意味において、その全てがつくされたといいうるのでなければ、被告としては、発生した事故につき免責されることはないのである。
(三) 福島駅は、列車の発着本数が多いことでは全国有数であり、一日の乗降客数も約2万6000名にのぼっている。そのホームは、高架となっており、しかも、それは、西側が線路となっている、いわゆる島式ホーム(そこでは、いわゆる相対式ホームと異なり、残存感覚中の皮膚感覚が役立たないから、直線歩行が困難である。)で、一番線側側端は湾曲している。加えてホームの直下を通る両側六車線の一般道路や、環状線と併走する阪神電鉄、国鉄貨物線等からの騒音が防音壁のないホームを直撃する(そこでは、残存感覚中最も重要な役割を果たす聴覚が役立たず、音による位置付けが困難となる。)、という、視力障害者にとつては悪条件の重なったホームである。したがつて、そこでは、他の駅ホームに比べて、右(二)で述べたような物的施設、人員配置その他の安全確保義務に対する要請は更に強いものとなる。
 (四) ところが、福島駅のホームは、その幅員は狭く、しかも、その中央部に階段や柱、ベンチ等が多数設置されているため、乗客はいきおいホーム側端付近を歩くことを余儀なくされるのであるが、階段の両側には、ホーム側端までが僅か2メートル弱しかない。しかるにさきに(二)で述べたような、転落防止及び転落した場合の避難、救助等のための物的施設は何も設けられていなかった(退避しうる空間があつても、その存在が乗客に周知徹底されていなければ、役に立たない。)。
就中、視力障害者にとつてホーム側端を覚知するのに有効な、点字ブロックは、昭和40年に、点字タイルは、昭和41年に、既に開発され、本件事故が発生した昭和48年頃には全国各地に普及していたものであつて、それらは、設置も容易で、福島駅程度のホームなら、敷設費用をも含めて70万円もかければ、僅か一日程度の工事で簡単に設置することができたものであるところ、被告は、その開発者等の普及活動等により、これらのことを右開発の直後頃から知っていたのに、これを設置しようとはせず、僅かに、ホーム白線の外側に、表面の突起が低く、視力障害者には殆ど覚知することができないクリーンタイルを貼付していただけであった。
次に、被告の旅客輸送数は年の追って大きく増加しているのに、その職員数は、逆に、合理化の名の下に次第に削減され、その結果、駅員の配置状況は、ホーム上の旅客の安全を十分に確保するには程遠いものとなっている。本件事故発生時刻頃の福島駅は、外回り内回り各線とも約三分半間隔と、電車の発着頻度も高く、乗降客数も多いのに、全長180メートルの上下線ホームに僅か一名の駅員が旅客係として配置されていたにとどまる。本件加害電車(第一七二三電車)は、一番線に午後6時45分20秒に到着し、同40秒に、二番線から外回り第一七一八電車が発車している。旅客係は、その発射後ホームを離れるまでその安全確認のためこれを見送らなければならないから、見送り後一番線に移動するのに要する時間を考慮すると僅か十数秒の間に、加害電車の進入線路上及びホーム上の乗客の安全確認を行わなければならないことになり、到底そのために万全をつくすことはできない。本件事故時、仮に乗客の安全確保のため複数の駅員がホーム上に配置されていたならば、本件事故は未然に防止しえたはずである。
以上、本件事故の発生につき、物的施設、人員配置の両面で、被告に乗客の安全確保義務違反が存したことは明らかである。
なお、物的施設が不備であり、配置人員が不足しているうえ、ホームが湾曲していてみ通りが悪い、という事情を考えれば、配置された旅客係や、加害電車の運転士の前述の注意義務は加重されることになる。十分の時間的余裕をもつて一番線線路上の安全を点検しなかった旅客係、原告を轢過する前に停止しえなかった加害電車の運転士には、なお、本件事故の発生につき、十分の監視、十分の前方中止を怠った過失があるものといわなければならない。
 2 本件事故現場である福島駅は、日本国有鉄道法に基づいて設立された公共企業体である被告が、所有しかつ占有する公の営造物であるところ、右施設の一部であるホームには、右1で述べたとおり、その設置又は管理について、物的・人的瑕疵があり、本件事故はそのために生じたものであるから、被告には、国家賠償法2条に基づき、本件事故により原告が被った損害を賠償する義務がある。
三 損害
 1 逸失利益     3133万8600円
   原告は、本件事故当時四四歳の男子で、当時は職を求めて来阪したところで無職であったが、本件事故がなければ、適当な職業に就いて相応の収入を得ていたはずであり、また、中途失明者として短期間の訓練の後、鍼・灸・マッサージのいわゆる三療業の資格を取得し、これを営むことも可能であって、いずれの場合においても、少なくとも月額15万円の収入を得ていたはずである。
 (一) 休業損害
    原告は、本件事故により両脚を轢断され、約10か月の入院及びその後の通院のため、昭和48年9月から昭和53年12月までの間休業を余儀なくされ、そのため960万円の収入を失った。
   (算式) 15万 × 64 = 960万
 (二) 将来の逸失利益
    原告は、本件事故により両脚を轢断されてその労働能力を100パーセント喪失したものであるところ、原告の就労可能年数は昭和54年1月から17年間と考えられるから、原告の将来の逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、2173万8600円となる。
(算式) 15万 × 12 × 12.077 = 2173万8600
 2 介護費
   原告は、本件事故により両脚を切断されたため、日常生活に支障を生じ、事故以降その生涯にわたってほぼ一日中付添看護を必要とする状態となったものであり、その介護費は一日3000円を下らない。
 (一) 昭和48年9月から昭和53年12月までの分
    右の期間中の介護費は、576万円となる。
   (算式) 3000 × 30 × 64 = 576万
 (二) 将来の介護費
    原告は、現在50歳で、今後平均余命年数の25年は生存するものと考えられるから、その間の介護費を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、1745万8680円となる。
   (算式) 3000 × 365 × 15.944 = 1745万8680
 3 慰藉料      2000万円
   本件事故の態様、原告の受けた障害の部位程度、後遺障害の内容程度、その他、原告が事故後度々自殺を企図するほどの苦痛をうけていることなど諸般の事情を考えあわせると、その精神的苦痛に対する慰藉料は2000万円が相当である。
 4 弁護士費用    750万円
   原告は、被告がその責任を争ったため、事案の性質上やむなく弁護士に依頼して本訴を提起したのであるが、その費用として、本訴請求額の15パーセントにあたる750万円を支払う旨約束した。
 よって、原告は、被告に対し、商法590条又は国家賠償法2条に基づく損害賠償の請求として、右損害額のうち5750万円及び弁護士費用を除く5000万円に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和51年8月3日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三 請求原因に対する答弁及び被告の主張
一 請求原因一の事実中、原告が、その主張の日時頃、福島駅一番線の線路上において、進行してきた電車に両脚を轢断されたこと及び原告が視力障害者であることは認めるが視力障害者に至る経緯及びその程度は知らない。
二 同二については、事実のうち、被告が日本国有鉄道法に基づき鉄道による旅客運送を業として行う目的をもつて設立された公共企業体であること、福島駅の当時の乗降客が一日平均約2万6000名であつたこと、同駅のホームが高架でいわゆる島式ホームであること、ホームからの転落防止のための手摺、柵、ロープ等、及び、ホーム側端に点字ブロック等が設置されていなかったこと、ホーム側端にクリーンタイルが貼付されていたこと、本件事故の際全長180メートルのホーム上に駅員を一名しか配置していなかったこと、は認めるが、その余の事実及び主張は争う。
三 本件事故は、原告の一方的かつ重大な過失によって発生したものであり、被告の従業員(駅員、運転士)には何らの過失もなく、また、福島駅の人的物的施設についても設備の瑕疵はなかったのであるから、被告が本件事故につき法的責任を問われる理由はない。すなわち、
 1 被告には、旅客運送人として、旅客の安全確保のため、善良なる管理者としての注意義務があることは当然であるが、他方、鉄道交通は、その社会的効用の大きい反面、大きな危険を内包するものであつて、本来、これを利用する旅客は、自ら自己の安全維持のため必要な行動をとるべきことを要請されているのであり、被告としては、危険の発生を予知しうるような特段の状況を察知した場合は格別、一般的には、旅客は右のような行動をとるものと信頼して客扱いをすれば足りるのである。視力障害者といえども、一般旅客と同様自ら危険を防止すべきは当然であり、特別の保護を必要とするのであれば、その者は、自ら介護者を同伴するなどすべきであって、視力障害者が利用するということだけのために、被告が駅の物的施設及び辞任配置の面で特別の注意義務を課せられるものではない。
 2 視力障害者も含めて、身体障害者に対する諸設備を拡大充実させることは、日本国有鉄道という企業の公共性、社会性から、社会的責任として当然に要請されるものであつて、被告においても最大限の努力を払っているものであるが、それは、具体的な事故に対する法律的責任とは自ずから別異の観点から検討すべき問題である。
   点字ブロック等の設置についていえば、本件事故当時は、地方公共団体が漸く社会福祉政策の一環として視力障害者用信号機の設置などとともに道路にこれを設置し始めたばかりで、それは未だ試行段階にあり、設置場所についても、盲学校、盲人用図書館、盲人福祉センター等の視力障害者のための施設があるなど視力障害者の通行の多い場所が選定され、漸次普及しつつあるという状態であつた。被告(大阪鉄道管理局)及び大阪近郊の私鉄、公営交通機関にあっても、右社会情勢に呼応すべく努力していたとはいえ、本件事故の時点において既に点字ブロックが設置されていたのは、大阪府立盲学校が近隣にあって視力障害者の利用が極めて多い阪和線我孫子町駅、南海電鉄我孫子前駅の両駅だけであつた。その後被告にあっては、昭和49年頃、新設液である西大津駅、新大阪駅に、昭和50年3月、近くに視力障害者施設のある森ノ宮駅、放出駅に、また、昭和51年3月、一般利用客が多く、したがつて視力障害者の利用も多いと考えられる京都駅、大阪駅、神戸駅等の主要駅に、また、大阪近郊の私鉄、公営交通機関にあっては、昭和49年3月大阪市営地下鉄長居駅、同年9月近畿日本鉄道奈良駅、昭和50年2月阪急電鉄梅田駅、同年3月市営地下鉄森ノ宮駅にそれぞれ点字ブロック等が設置されているが、右各駅は、いずれも視力障害者施設に関連するか、視力障害者の利用の多い主要駅など極めて範囲が限られていた。したがつて、本件事故当時、福島駅のような視力障害者施設に関係のない、また、視力障害者の利用が月に数回という極めて少ない一般の駅に点字ブロック等が設置されていなかったとしても、これをもつて被告に駅の全然設備を怠つた義務違反があるとはいえない。また、点字ブロック等は、旅客の利便のための誘導を目的とするものであって、柵などのような絶対的な転落、進入の防止手段ではない。それがホームからの転落等の事故防止の手段たりうるのは、視力障害者がその存在と意義、目的を理解していることが前提となるが、前述のようなその本件事故当時の普及状態にかんがみれば、仮に福島駅ホームに点字ブロック等があって、原告がこれを感知したとしてもその意味を理解することはできず、したがつて転落の具体的な防止策にはならなかつたと考えられる。原告がホームから転落したのは、視力に障害を有し酒の酔いと疲労の状態にありながら白杖を持たず慌ててホーム上を歩行したという原告の不注意によるものであって、点字ブロックが設置されていなかったことと本件事故の発生との間には相当因果関係はない。
   福島駅の乗降客は、大阪環状線の他の駅に比べれば少ない方であり、そのホームの幅員は、中央部で9ないし10メートルであつて、比較的余裕のあるものである。原告は、同駅のその他の安全施設として、手摺、柵、ロープ等の設置を主張するけれども、通過電車のみで旅客の乗降のないホームなどであればともかく、福島駅のホームのように常時その両側に電車が発着し、その都度旅客の乗降に供されているホームにそのような施設を設けることは、旅客の乗降の円滑を妨げ、かつ、混乱の因ともなり、かえつて危険を増大させるおそれがある。なお、福島駅の場合、ホームから転落した旅客のためには、ホーム下の線路脇に避難すべき十分の空間がある。
 3 駅ホーム上の人員配置は、ホームの構造、長さ、幅員、駅の設備、利用客数、その時間的変動、電車の発着回数等の諸要素を勘案し、一般旅客について通常予想される危険からその安全を確保するに足りるだけの要因を適正な位置に配置すれば足りる。旅客の案内あるいは電車の接近を知らせる自動放送設備の整っている福島駅においては、朝夕の通勤時間帯には二名を配置して旅客の案内監視を行うが、本件事故が発生した時刻頃を含めて、それ以外の利用客の比較的少ない時間帯においては旅客係一名ホーム上において勤務することとなっている。同駅の場合は右の程度で旅客の通常の安全を確保するに十分であって、原告主張のように、視力障害者がホームから線路上に転落するという異常な事態に備えて、その救出を即時になしうるように駅員を配置するまでの法的義務はない。
 4 本件事故当時、福島駅のホーム上には旅客係の仲矢敬治一名が勤務についていたが、同人は、当日午後6時44分20秒に同ホーム外回り線側に到着した第一七一八電車の乗客の乗降状態を大阪駅寄りの階段を上がった付近のホーム上において監視し、乗降終了後同時44分40秒発車の同電車の発進状態を監視中、同ホームの内回り線側に第一七二三電車(午後6時45分20秒着、同40秒発)がホーム近くに接近してきたので内回り線側の乗客の案内のため同側へ移動し、野田駅方面をみたところ、約40メートル先の野田駅よりの階段を上がった付近の乗客からあがる「ワアー」という喚声とどよめきを聞いているので、仲谷が原告を線路上に発見したのはその転落直後であったことは明らかである。)が、その救出は場所的、時間的に間に合わないと判断して、直ちに電車を停止させるべく赤旗を振りながら電車に向かって走った。また、第一七二三電車の運転士天野勉は、福島駅に停止すべく進入しつつあったが、ホーム上に赤旗を振る旅客係を認め、また、進行線路内に人が倒れているのを発見して、直ちに非常汽笛を吹鳴するとともに非常制動の措置をとったが、原告が線路内から全く避難しなかったため、その両足下腿部を轢過したものである。このように、旅客係仲矢は原告がホームから転落した直後にこれを発見し、その瞬時ののちには運転士天野もこれを発見しており、同人らのその発見後の判断、措置も適切妥当であって、本件事故の発生につき右被告の職員両名には何らの過失もない。
四 請求原因三は争う。原告は、その主張によれば本件事故当時既に身体障害等級一級であったのであり、自己の相当以前から事故時にかけて定職に就いていたことはなく、また、自ら三稜を行う意思をもっていないのである。賠償額の算定に当たっては、これらの点が考慮されるべきである。
第四 抗弁
 視力に重度の障害があって歩行の不自由な者は。まず自ら白杖を使用することによってその不自由さを補い、それでも困難を伴う場合には介護者をつけて、自らの安全を確保すべきである。本件事故当時、原告は、そのいずれの方法もとらず、しかも疲労と飲酒によって自らの注意力を著しく減退させていたため、福島駅のホームから転落し、転落後においても十分な退避行動が取れないまま本件事故に至っているものであり、原告には、本件事故の発生について、重大な過失があったものといわなければならない。
第五 抗弁に対する認否及び原告の主張。
 本件事故の時、原告が白杖を持たず、介護者を同伴していなかった事実は認めるが、その余の事実及び主張は争う。
 歩行訓練を受ける機会は少ないが、これを受けていないものが白杖を所持しても、これを安全確保のために役立てることは不可能であるし、人ごみの中では、その所持はかえって危険でもある。また、福祉事務所による白杖の支給は手続が繁雑であるうえ、支給される白杖に機能的欠陥があること、視力障害者に対するいわれなき差別と偏見が、その所持に心理的抵抗感を与えることから、白杖所持の普及は著しく遅れている。これらの事情を考えれば、白杖をしようしていなかったことをもって原告に過失があったものとすることはできない。また、視力障害者であっても、駅ホームの安全性さえ確保されていれば、介護者を伴わなくても、残存感覚の活用により安全にホームを利用しうること、必要に応じて介護者を得るということは、現実には極めて困難であること、及び、被告自身、身体障害者の単独利用を認めていること、からすれば介護者を伴っていなかったことをもって、原告の過失ということはできない。
第六 証拠
一 原告
 1 甲第一号証、第二号証の一、二、第三ないし第八号証、第九号証の一、二、第二七ないし三二号証、第三三号証の一ないし三、第三四ないし第三六号証、第三七号証の一ないし五、第三八号証の一、二、第三九ないし第四二号証、第四三号証の一ないし三、第四四号証の一ないし六、第四五号証の一ないし八、第四六号証の一ないし二〇、第四七号証、第四八号証の一、二、第四九、第五〇号証の各一ないし三、第五四号証、第五五号証の一、第五六ないし第六五号証、第六六号証の一ないし五、第六七号証の一ないし八、第六八号証、第六九号証の一ないし四三、第七〇、第七一号証の各一、二、第七二号証、第七三号証の一ないし七。検甲第一ないし第二七号証、第二九号証の一、二(検甲第二五号証は点字タイル、その余の検甲号各証は写真。検甲第二八号は欠番。)。
 2 証人楠敏雄、同塩中清、同三上洋、同渡辺明子、同箱山悦啓、同川畑憲雄、同小西信一郎、同堀井功、原告本人(第一、二回)。
 3 検証。
 4 乙第六号証の一、二、第七ないし第一一号証の成立はいずれも不知。その余の乙号各証の成立は認める。
二 被告
 1 乙第一ないし第三号証、第四号証の一、二、第七ないし第一一号証、第一二号証の一ないし三、第一三ないし第一六号証。
 2 証人安代末治、同仲矢敬治、同天野勉、同今村俊博、原告本人(第一回)。
 3 検証。
 4 甲第一、第三、第四号証、第一一号証、第二四、第二五号証、第二六号証の一、二、第二七、第三二号証、第三三号証の一ないし三、第三四、第三五号証、第三七号証の一ないし五、第三八号証の一、二、第三九、第四〇号証、第四三号証の一ないし三、第四六号証の三、四、一八、一九、第六六号証の一ないし五、第六七号証の一ないし八、第六九号証の一ないし四三、第七一号証の一、二、第七三号証の一ないし七の成立はいずれも認める(第一一、第二四、第二五号証、第二六号証の一、二、第二七、第三九、第四〇号証、第四三号証の一ないし三、第四六号証の一八、一九については、原本の存在、成立を認める。)が、その余の甲各号証の成立(第五ないし第七号証、第九号証の一、第一〇号証、第一三、第一四、第一六号証、第一八ないし第二二号証、第二八ないし第三一号証、第四一、第四二号証、第四四号証の一ないし六、第四五号証の一ないし八、第四六号証の一、二、六ないし一七、二〇については、原本の存在、成立)は知らない。検甲第二九号証の一、二は知らないが、検甲第二五号証が原告主張通りの物品であること、その余の検甲各号証が原告主張通りの写真であることは認める。
理     由
 一 原告が、昭和48年8月17日午後6時45分頃、福島駅の一番線ホームから線路上に転落し、折から進入してきた電車に両脚を轢断されたこと、及び、原告が視力障害者であつたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第三七号証の一ないし五、同第三八号証の一、二及び原告本尋問の結果(第一回)によると、原告(昭和4年1月15日生れ)は、小学生の頃から視力が衰えはじめ、その後、家業の鉄工所を手伝うようになってからは、電気溶接の火花による悪影響やグラインダー使用時に飛び散る金属粉が眼に入ったことなどによって視力は益々衰え、昭和36年7月31日両眼角膜白斑の障害で身体障害者福祉法別表一の1に該当する一級の認定を受け、更に昭和45年頃ダンプカーに衝突されて頭部に受傷した後は、左眼の視力零(身体障害者手帳上の病名は眼球癆)、右眼のそれは眼前での手動を判別しうるに過ぎない状況(病名、角膜白斑、白内障、虹彩後癒着)にあることが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
 二 被告が日本国有鉄道法に基づき鉄道による旅客運送を業として行なう目的をもつて設立された公共企業体であることは当事者間に争いがなく、原告本尋問の結果(第一回)によると、原告は、国鉄天王寺駅で乗車券を購入し、大阪環状線電車で同駅から福島駅に赴き、同駅ホームで本件事故に遭遇したものであることが認められる(右認定を覆えすに足りる証拠はない。)から、被告には、商法上の旅客運送人として、旅客である原告を安全にその目的地に運送すべき契約上の義務があるものというべく、本件事故で受傷した原告は、被告の運送により損害を被ったものというべきところ、被告は、本件事故につき、被告及びその職員が運送に関し注意を怠らなかったから、被告には損害賠償の責任はない旨主張するので、以下、この点について検討する。
  1 成立に争いのない甲第三号証、乙第一、第三号証、第一二号証の一、二、証人天野勉(後記措信しない部分を除く。)及び検証の結果、並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。
   (一) 福島駅のホームは、北東、国鉄大阪駅方面(以下、東側ともいう。)から、南西、同野田駅方面(以下、西側ともいう。)に延びる、全長が180.51メートル、幅員が、最も広いホーム中央西側部分(後記西階段の昇降口から約五メートル西寄りの部分)で10.05メートル、最も狭い西側先端部分で5.91メートル(東側先端部分は7.79メートル)、その他の部分はほぼ九メートル前後の、高架の、いわゆる島式ホームで、大阪駅方面に向う大阪環状線外回り電車の発着する二番線ホームはほぼ直線であるが、野田駅方面に向う内回り電車の発着する一番線ホームは、進行方向に向って右側にゆるやかに湾曲している。
      ホーム上には、そのほぼ中央に東西長5.01メートル、南北幅3.04メートルの運転係室が、これを挾んで、その東側に3.03メートルの間隔をおいて大阪駅方面から階下の改札口に通じる階段(東西長ほぼ6.5メートル、南北幅約4.5メートル。以下、東階段という。)、その西側に7.1メートルの間隔をおいて野田駅方面から階下の改札口に通じる階段(東西長、南北幅とも東階段とほぼ同じ。以下、西階段という。)が、更に、東階段の東側及び西階段の西側には、両端に向って、それぞれ、順次、水飲み台、二つのベンチ、水銀灯が設置されている。一、二番線とも、ホームの縁端に沿って幅0.45ないし0.58メートルのクリーンタイルが、その約0.5メートル内側に一定間隔をおいて白いタイルを埋めた白線が更にその内側約0.8メートルには、ホームの両端各約三〇メートルを除いた部分を覆っている屋根を支えるH型鋼の柱が約10メートルの等間隔をおいて、それぞれ設置されている。
      そして、ホーム縁端部は、その土台部分から1.74メートル程庇のように線路敷上に突出しており、ホーム下の線路内側には高さ約1.1メートル、幅約2.7メートルの空間部分があり、また、線路外側には幅約2.2メートルの空地が残されている。
      なお、六両編成の電車(一両の長さは約20メートルである。)の一番線側における所定停車位置は、電車の最前部がホーム西端から約30メートル東側寄りの地点にくる位置である。
   (二) 原告は、職を求めて本件事故前日の昭和48年8月16日の午後10時頃博多駅発の夜行列車で単身来阪したものであるが、事故当日の午前10時頃大阪駅に到着し、大阪環状線天王寺駅に荷物を預け、以前大阪で働いていた頃の知人らと連絡をとるため、その周辺及び京橋駅で時間を費したが、らちがあかず、最後に、福島駅に行けばその頃の知人に会えるかも知れないと考えて、外回り電車に乗り、本件事故発生時刻の直前に福島駅で下車した。
      原告は、下車位置から十二、三歩歩いて、一たんは西階段を二、三段降りたものの、もう遅いから明日にしようと思い直して、再度外回り電車に乗る心算で下車した位置に戻ろうとしたが、方向を誤って内回り電車の発着する一番線側に進み、西階段昇降口から約8メートル野田駅方面寄りのホーム縁端部(当裁判所の検証の際に、被告が原告の転落場所として指示した地点。検証調書添付見取図のロ点で、ホーム東端からの距離は約114メートル、ホーム西端からの距離は約66メートルである。)で右足を踏みはずして、そのまま線路上に転落した。原告は、転落したとき足首を線路で打ち、その痛みで立ち上ることができず、うしろに回した手に触れたものの感覚で線路の間に居ることがわかつたので、同所から二、三回、大声で助けを求めるとともに、何とか這って退こうとしたが、自力で線路脇に退避することができないままに、進入してきた内回り第一七二三電車にその両下脚下腿部を轢過された。
      本件事故当時、原告には同伴者はなく、原告は、その程度は明らかではないが、酒気を帯びていた。なお原告は、それまで白杖を使用したことはなく、もとより、本件事故の際も、これを所持していなかった。
   (三) 福島駅では、ラッシュアワーにあたる午前7時30分から同9時まで及び午後5時から同6時30分までの間は、原則として助役一名、旅客係一名の計二名がホーム上で電車監視及び客扱いの職務にあたるが、右以外の時間帯においては、旅客係一名を右職務にあてている。なお、ラッシュアワーがずれ込んだ場合にはその間助役がそのままホーム上で職務を続ける。
 本件事故当時は、ラッシュアワーをやや過ぎて、ホーム上の旅客数も通常程度(数十人程度)に戻っていたので、当日の担当助役安代末治は既に右職務を離れ旅客係の仲矢敬治一名がこれに従事していた。
      仲矢は、運転係室で作業中、二番線に外回り第一七一八電車(午後6時44分20秒着、同40秒発)の接近を知らせるブザーが鳴ったのでこれを止め、続いてその接近を案内する自動列車接近放送がはじまるのと同時にホームに出て、電車監視場所として指示されている東階段の昇降口から数メートル大阪駅方面寄りの地点(その付近からは、ホーム全体が比較的よく見渡せ、また、危険な駆込み乗車をする乗客が多い。)で、右電車の監視及び客扱いにあたった。ほぼ定刻に発車した右電車の後部がホームから離れるのを確認し終った頃、一番線に入る六両編成内回り第一七二三電車(午後6時45分20秒着、同40秒発予定、運転士天野勉。)が大阪駅方面から接近してくるのが見え、同時に自動列車接近放送がその接近を告げはじめたので、その監視及び客扱いをなすべく、直ちに二番線側から一番線側にホーム上を移動したが、同側側端付近に達した頃、ホーム上の乗客の「わあー」というような喚声を聞いたので、直ちにその方向を注視して野田駅方面の線路上及びホーム上を確認すると同時に、その監視位置から約40メートル野田駅方面寄りの線路上に、足をホーム側に向けて線路の間に人が倒れているのを発見した(前記原告の転落に至るまでのホーム上での行動経過及び右発見に至る経緯に照らせば、仲矢は、原告の転落を、その直後に確認したものと認められる。)。振り向いて大阪駅方面を見ると、第一七二三電車は既にその最前部がホーム東端付近にまできていたので、仲矢は、咄嗟に、電車の速度や距離関係等からみて転落者の救出に向ってもそれは不可能である、むしろ右電車を非常停車させる方がよい、と判断し、すぐさま所携の赤旗を振りながらホーム上を電車に向って走った。十数メートル走ったあたりで、電車は目前を通過して行つた。
   (四) 運転士天野勉は、第七一二三電車(その運転席は、進行方向に向って左側にある。)を運転して、ほぼ定刻に到着すべく、惰力により時速40ないし50キロメートルの速度で福島駅に進入してきたが、その際、ホーム上に赤旗を振りながら電車に向って走ってくる駅員(仲矢)の姿を認め、時間的な前後関係は定かではないが、ほぼそれと同時に、前方線路上に白い人らしいもの(原告)が横たわっているのを発見して(天野は、原告が線路上に転落するところは見ていない。)、直ちに非常制動の措置をとるとともに、非常汽笛を吹鳴したが、及ばず、そのまま原告の両脚を轢過した。なおその最前部が轢過地点から8メートルばかり前進した地点で、加害電車は停止した。
   (五) 加害電車の制動装置は、空気の圧力を利用したもので、常用制動も非常制動も一個の把手で手動操作される。天野運転士は、内回り電車を運転して福島駅に進入停車するときは、通常、大阪駅との中間あたりで力行を止め、以後は惰力により、時速40ないし50キロメートルで進行し、ホーム東端から約30メートル西寄りの地点まで最前部が進入したとき、圧力3キログラム前後の常用制動をかけ、所定の位置に停車している。制動から停車まで、約120メートル進行することになる。なお、非常制動は、圧力4.5キログラムで、時速50キロメートルで進行している場合には、非常制動をかけてから約100メートル進行して停車する。時速40キロメートルであれば、非常制動による制動距離は64メートル程度となる。
   (六) なお、証人天野勉は、ホーム東端付近からであれば、加害電車の運転席からホーム上及び一番線線路上の見通しは良い。一番線側の線路とホームは多少曲っているけれども、それはこの事件には関係はないと思う、一番線線路上の原告が転落していた地点は、少なくとも物理的には、もつと手前からでも見通すことができる旨証言しているところ、前記認定のホームの幅員(一部を除き9メートル前後、東端は7.79メートル)、形状(一番線側は直線)に、電車の幅員をあわせて、前記(四)記載の位置にある運転席上の運転士の眼の位置を考えれば、右証言は十分首肯しうるものであり、他の証拠上も右証言の合理性を疑わせるような事情はうかがわれないから、加害電車運転席からの見通しは、右証言にあらわれたとおりであると認める。なお、同証人の証言によれば、本件事故発生の際、天野運転士は別に線路上が暗いとは感じていなかったことが明らかである。
      ところで、証人天野勉は、(1)福島駅に進入する際、異常(ホーム上で赤旗を振って走る仲矢、線路上に横たわっている原告)に気付いたのは、加害電車の最前部がホーム東端にさしかかった頃と思う、(2)事件事故発生後、所定停車位置の約50メートル手前、すなわち、ホームの西端から約80メートルの地点で停止した(所定停車位置から二両半手前の地点であつた)が、それは、原告を轢過してから約8メートル前進した地点である、旨証言しているが、右(2)の証言は、他の証拠等によって明らかな、右2記載の原告が轢過された地点と全く符合しないので、また、右(1)の証言は、そのとおりであるとすれば、原告が轢過された地点が右2記載の地点であり、天野の行動、制動距離等が右(四)、(五)記載のとおりである以上、本件事故は発生しなかったはずである(加害電車は転落した原告の10メートル以上手前で停車していなければならないことになる)から、いずれも、措信することができない。
 〈証拠判断略〉
  2 右1において認定した事実に基づいて、被告の職員が旅客運送に関して注意を怠らなかったものと認めうるか否かについて案ずるに、
   (一) 仲矢旅客係については、その監視位置をもつて不適当ということはできず、そうである以上、その果した第一七一八電車に関する職務との時間的、場所的関係からみて、線路上に転落しているのを発見するまでホーム上の原告に気付かなかったことはやむをえないところであり、また、その発見が遅れたわけでもなく、その発見後の判断、措置も、状況からみて、その際とることができる唯一の方法であつたと考えられるから仲矢旅客係は、旅客の運送に関し注意を怠らなかったものと認められる。しかし、
   (二) 天野運転士については、(1)加害電車の最前部が福島駅ホームの東端にさしかかったときには、原告は既に一番線線路上に転落していたものと考えられるのであるが、(2)天野運転士がその地点で自己の道路上に転落している原告を発見してさえいれば、本件事故の発生を未然に防止することができたはずであるところ、(3)それは、天野運転士が駅に進入する電車の運転士に通常要求される前方注視義務を怠らずに加害電車を運転していたとすれば、十分可能であつたと考えられる。証人天野勉は、自分は前方を注視していたし、最善の努力をしたが、本件事故の発生を回避することができる地点で線路上の原告を発見することはできなかった旨証言しているけれども、前記認定のように、少なくとも天野運転士は原告が転落するところは見ていないのに加害電車は原告を轢過した後八メートルばかり進行した位置で停車しているのであつて、右証言にはこれを納得させるに足りる説明はないから、これを措信することはできず、他に、右(2)、(3)記載の点が不可能であつたことをうかがわせる事情の主張立証はない。したがつて、天野運転士が旅客の運送に関して注意を怠らなかったものと認めることはできない。
  3 以上の次第で、本件事故の発生については、被告の使用人である加害電車の運転士天野勉が旅客の運送に関して注意を怠らなかったものと認めることができないから、被告には、商法590条に基づき、本件事故により原告が被った後記の損害を賠償すべき義務がある。
 三 そこで次に、本件事故により原告が被った損害について判断する。
  1 前掲乙第三号証、成立に争いのない乙第五号証、証人小西信一郎の証言及び原告本人尋問の結果(第一、二回)並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。
   (一) 原告は、旧制中学校卒業後、家業を手伝い、第二次世界大戦中は徴用工として稼働したこともあつたが、終戦後は、各地を転々として、日雇人夫などをして稼働していた。大阪では、昭和29年頃から昭和45年頃までの間に10年余りを過ごしたが、その間は、単身で天王寺区、西成区の簡易旅館に宿泊し、主として冷暖房器具の組立てや取付けに関する熔接の作業に従事していた(その頃どの程度の収入を得ていたかは明らかでない。)。
 昭和45年頃、大和高田市内で交通事故に遭遇し、約二か月間入院した後、郷里の福岡県に帰住し、約三年間、無職無収入で、弟の世話になりながら養生した。しかし、弟の世話になるにも限度があるところから、何とか稼働して自力で生活しようと決意して来阪し、従前大阪で稼働していた頃の知人らに伝手を求めて当時と同様の仕事をしようとしていて、本件事故に遭遇したものである。
   (二) 原告は、本件事故後、昭和49年6月4日まで、大阪市福島区所在の手島外科病院に入院したが、結局、両下肢を足関節以上で失った(両下肢とも、膝関節の下10ないし15センチメートル以下で切断されている。)。入院中、前途に絶望して自殺を企図したこともある。また現在でも時に足が痙攣するため、義足はつけてもあまり役立たず、家の中でも車椅子を用いる生活を余儀なくされている。
   (三) 原告は、重度の視力障害に本件事故による両下肢の喪失が重なったため、極端にその行動が制限されることとなり、摂食、用便、入浴、衣服の着脱等に事欠くわけではなく、独居に危険を伴うわけでもないので、常時付添介護を必要とするものではないが、買物、炊事、洗濯、掃除その他、相当程度の動作を必要としあるいは危険を伴う行為はすることができないため、その生命を維持するためには、生涯にわたって、これらの仕事をするための付添介助者を必要とする。原告は妻帯しておらず、またその身近に世話をする身寄りもいないところから、手島外科病院を退院した後は、学生、社会人の有志数名が、毎日、交代で、無償でその付添介助にあたっている。同人らは、必要な最低限度の仕事をするのに、日に四時間程度を必要としている。右有志の一人である小西信一郎が本訴提起に先立つて調査したところでは、右の仕事のために家政婦を雇うとすれば、一日八時間で5500円程度の出費を必要とする。
  2 逸失利益  1412万円
    さきに認定した事実及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件事故当時44歳の男子で、当時は無職であつたが、稼働する意思を有していたことは明らかであり、本件事故がなければ、63歳である昭和67年まで、従前大阪で稼働していた頃と同様の仕事をして、相応の収入を得ていたはずであるところ、本件事故により両下肢を失い、当時有していた労働能力の全てを喪失したものと認められる。もっとも、その収入額は、前記認定の昭和45年頃以前の原告の生活状態及びその後昭和45年頃の交通事故で更に視力障害が重度のものとなっていることを考えると、男子労働者の平均給与額を大幅に下まわるものと考えざるを得ないが、原告がその収入で自活する目途をつけて単身で来阪していることから考えて、少なくとも毎年賃金センサス、産業計、企業規模計、男子労働者学歴計対応年令平均給与額の三割程度の収入を得ることができたはずであるとみるのが相当である。そこで、昭和48年から昭和52年までは当裁判所に顕著な右各年度の賃金センサスにより、昭和53年以降は昭和53年度の賃金センサスによってその収入を算出し、年別のホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除して原告の逸失利益の現価を算定すると、別紙計算書記載のとおり、1412万円となる(1万円未満切捨て。)。
    なお、原告は、いわゆる三療業の資格を取得してこれを営むことを前提とする収入金額を算定の基礎とすべきことを主張するが、その主張によっても右資格の取得には相当程度の期間の訓練を必要とするものであり、前記認定の本件事故に至るまでの原告の職歴、及び、原告本人尋問の結果(第一、二回)によって明らかな、原告自身、まずは自己の経験を生かした鉄工関係の仕事をしたい希望で来阪していること、にかんがみ、右主張は採用することができない。
  3 付添介助費用  965万円
    さきに認定した事実によれば、原告は、重度の視力障害に加えて本件事故により両下肢を失ったため、日常生活に支障を生じ、その生涯にわたって一日4時間程度の付添介助を必要とする状態となったものであり、手島外科病院を退院した昭和49年6月4日以降、有志の無償付添介助を得ているのであるが、そのために家政婦を雇うとすれば、一日3000円程度の費用を余儀なくされることになるものと認められる。そして、原告は、現在までは現実にそのための出費をしているわけではないが右有志の献身による付添介助を当然のこととして将来ともに期待することもできず、何時そのための出費を余儀なくされることになるかわからないし、また、右有志の好意に基因する恩恵を加害者にまで及ぼすべき理由もない。もっとも、右付添介助の必要は、原告が重度の視力障害者であることも一つの原因となって生じているものであるから、前記認定の本件事故前後の原告の生活状態等諸般の事情を考慮して、右のうち一日1500円が、本件事故と相当因果関係のある損害であると認めるのが相当である。
    以上述べたところからすれば、原告は、本件事故により、昭和49年6月4日以降その生涯にわたり、一日1500円の割合による付添介助費用の損害を被ったものというべきところ(手島外科病院入院中の分については原告の出費を要する付添人があつたことを認めるに足りる証拠がない。)、当裁判所に顕著な簡易生命表によれば、昭和48年に44歳である男子の平均余命は30.16年であって、原告は昭和49年以降29年は生存するものと考えられるから、その間の付添介助費用の現価を年別のホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、965万円となる(1万円未満切捨て。)。
(算式) 1500×365×17.6293=965万2041
    この点に関する請求のうち右金額を超える部分については、これを認めるに足りる証拠がないか、本件事故と相当因果関係がないものとして、失当というべきこととなる。
  4 慰藉料  800万円
    本件事故の態様、原告の受けた傷害の部位程度、後遺障害の内容程度、その他、原告が事故後自殺を企図するほどの苦痛を受けていることなど諸般の事情を考えあわせると、その精神的苦痛に対する慰藉料は、800万円が相当と認められる。
 四 進んで、過失相殺の抗弁について検討する。
  1 本件事故当時、原告が、白杖を所持しておらず、介護者を同伴していなかったこと、福島駅のホーム上には、縁端にクリーンタイルは貼付されていたが、転落防止のための点字ブロック等や、手摺、柵、ロープ等は設置されておらず、又全長180メートルのホーム上に駅員一名が配置されていたにとどまること、同駅の乗降客数が一日平均約2万6000名であつたこと、は、いずれも当事者間に争いがなく、当時原告が酒気を帯びていたことは、さきに認定したとおりである。
  2 原本の存在及び成立に争いのない甲第一一号証、第二四、第二五号証、第二六号証の一、二、第二七号証、第四六号証の三、四、一八、一九、成立に争いのない甲第三四、第三五号証、第六七号証の一ないし八、第六九号証の一ないし四三、証人塩中清の証言、及びこれにより原本が存在し真正に成立したものと認められる甲第五、第六号証、証人箱山悦啓の証言、及びこれにより原本が存在し真正に成立したものと認められる甲第一六、第一八、第三〇号証、真正に成立したものと認められる甲第一二、第一七、第二三号証、証人川畑憲雄の証言、及び、これにより、原本が存在し真正に成立したものと認められる甲第四四号証の一ないし六、第四五号証の一ないし八、第四六号証の一、二、六ないし一七、二〇、真正に成立したものと認められる甲第四六号証の五、証人堀井功の証言、及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第四七号証、第四八号証の一、二、第四九、第五〇号証の各一ないし三、第五一号証、第五二号証の一、二、第五三、第五四号証、第五五号証の一、第五六号証、原告主張どおりの写真、物品であることに争いのない検甲第一ないし第二七号証、証人今村俊博の証言、及び、これにより原本が存在し真正に成立したものと認められる乙第六号証の一、二、第七ないし第一一号証、証人楠敏雄、同三上洋、同渡辺明子、同仲矢敬治、同安代末治の各証言、原告本人尋問の結果(第一回、第二回)、検証の結果、並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができ、これを左右するに足りる証拠はない。
   (一) 視力障害者は、歩行に際して、視覚により常に進路前方の未来位置に関して十分な予測判断をなしうる晴眼者とは異なり、足裏、白杖などによる触感覚や聴覚等に依存せざるをえないところから、常に極めて小範囲(場合により、単一地点)の進路予測しかなしえない点において、まず、根本的な制約を受ける。そして、駅ホーム、特にいわゆる島式ホームを歩行する場合には、縁端を示す白線はもとより役立たず、いわゆる相対式ホームを歩行する場合のように、側壁を皮膚感覚等で捉えてこれに沿って進むことはできないし、また、中央部分を歩くには、設置されているベンチ、水飲み台等が障害物となり、これらを避けたりするうちに方向を見失うおそれが大きい。更に、福島駅の場合には、高架で、ホーム直下の一般道路や環状線と併走する阪神電鉄、国鉄貨物線などからの騒音が不規則に入り乱れるため、情報として役立つ音の選択が困難となり、聴覚が役立たないという難点が加わることになる。仮に白杖を用いたとしても、それによってホームの縁端を感知しえた地点では、既に電車に巻き込まれるか、ホームから転落する危険にさらされていることになる。直接死傷事故には結びつかなくても、ホームから転落した経験を有する視力障害者は少なくない。また、転落後も、周囲の状況に即応して迅速な退避行動をとることは不可能であるから、重大な結果を生ずる危険性が高い。
   (二) 視力障害者が外出する場合、介護者の付添があれば危険はないが、常にそれを期待することは困難である。その場合に、白杖の果す役割は大きく、時として未知の晴眼者に情報提供等の援助を求めることが不可欠となる。
      白杖が果す役割としては、①晴眼者に視力障害者であることを知らせる、②それによって周囲の情報を得る、③自分を守る、の三つがあげられているが、歩行訓練士の絶対数が少ないため歩行訓練を受ける機会が少ないこと、福祉事務所から支給される白杖は右②の役割を十分に果すには短かいこと、などから、右②、③の点で白杖を十分に役立たせることのできる視力障害者は、比較的少い。もっとも、現にこれを所持する者は、程度の差はあれ、通常は、自然に体得した用い方で、ある程度は右②の点でも役立たせているが、右①の点で役立たせうるにとどまるものも、かなりいる。特に、中途失明者の場合には、視力障害の程度にもよるが、白杖の入手、その使用技術の習得等についての情報にうといため、白杖を所持せず、また、所持しても十分に利用することができないものが多くなる傾向がある。
 原告は、他の視力障害者が白杖を所持使用していることはよく知つていたが、その入手、使用技術習得について他から情報を提供されたことはなく、訓練しなければ持つても役に立たないと自分なりに考えて、白杖を所持しようとしなかった。
   (三)(1) 点字ブロックは、縦横各30センチメートル、厚さ5.5センチメートルのコンクリート製台座の上に直径3.5センチメートル、高さ0.5ないし0.6センチメートルの半球状の突起を縦横各六列に合計三六個配置したもの、点字タイルは、縦横各30センチメートル、厚さ0.2センチメートルの塩化ビニール製の板の上に前同様の突起を配置したもの、で、いずれも、接続的に敷設することにより、足裏の触感覚を利用して、視力障害者の歩行誘導の効果を生み出そうとするものであり、安全交通試験研究センター(以下、安全センターという。)により、前者は昭和40年に、後者は昭和41年に、開発された。ホーム縁端のみに限定すれば、福島駅に点字タイルを敷設するのに必要な費用は、せいぜい70万円程度である。
    (2) クリーンタイルは、本来滑り止めを目的とするもので、その突起部分は、高さも約0.3センチメートルと低く、表面も平坦であるため、視力障害者が足裏の触感覚で判別することは容易でなく、また、その敷設位置がホームの縁端であるため、その安全誘導設備としては、極めて不十分な役割しか果しえない。これに比べて、点字ブロック等をホーム縁端からある程度の距離をおいて接続して敷設すれば、それは、完全とはいえないけれども、視力障害者に対する安全設備として一応十分の役割を果すものと考えられる。
    (3) 安全センターでは、昭和41、2年頃から毎年一、二回、地方公共団体、盲学校その他の社会福祉施設、被告(各管理局、支社宛)を含む各交通機関に対し、右製品のパンフレット、カタログ等を送付して、その普及活動を行なっており、また、昭和42年頃以後は、各地における各種の視力障害者の組織からも、関係各機関に対し、盲人歩行の安全確保の一環として、点字ブロック等の設置を要望する陳情等がなされるようになった。大阪においても、昭和43年頃から、大阪市盲人福祉協会などが、視力障害者の交通問題を取上げはじめ、同様の要望運動を行なうようになった。
    (4) 点字ブロック等が最初に実用に供されたのは、昭和41年3月、岡山県立盲学校に通じる国道二号線の横断歩道である。その後の普及、実用化の状況を安全センターの受注先リストからみると、昭和46年3月頃には、全国約540都市中、41都市において点字ブロックが、33都市において点字タイルが、また、本件事故が発生した昭和48年8月頃には、80都市において前者が、68都市において後者が、何らかの形で、一か所又はそれ以上のか所で、実用に供されている。
 ところで、点字ブロック等が十分にその効用を発揮するためには、その敷設方法等が相当まで全国的に統一されたものとなり、また、利用者の間にその存在と意義、目的に対する認識が広まることが必要であると思われるが、安全センターが、昭和50年3月にまとめた「道路における盲人の誘導システム等に関する研究報告書」(甲第三五号証)には、既設の点字ブロック等はその敷設方法等がまちまちであり、効果的な敷設方法等についても、まだ研究の余地が大きく残されている、という意味合いも含めて、(視力障害者の歩行のために何らかの誘導施設を設けることは社会的要請の一つであるが)「従来からもこれらの要請に応ずるための誘導・案内の方法が試みられては来たが、未だ実験的段階を脱せずその手法としても試行錯誤的範囲を超えていなかったというのがその実状であつた。」と記されている。
    (5) 被告は、昭和54年に阪和線我孫子町駅に点字タイルを、昭和47年に阪和線和歌山駅及び紀伊駅に点字タイルと点字ブロックを敷設した。いずれにも、近くに盲学校がある。その後昭和51年3月頃までの間の、被告の大阪、天王寺両鉄道管理局管内、及び大阪近郊の私鉄等における点字ブロック等の設置状況は、概ね被告の事実第三の三の2における主張にあらわれているとおりである。なお、被告においては、昭和50年頃、全国統一的なものとして、周辺に視力障害者の施設があり、その利用が特に多い駅、一般乗客が多く、したがつて視力障害者の利用も多いと思われるターミナル駅、周辺の道路等の公共施設が視力障害者のために整備されている駅、新設、改造する駅で、必要性が認められるもの、にそれぞれ設置するという方針をたてている。大阪近郊の私鉄や公営交通機関においても、昭和50年頃から点字ブロック等を敷設する駅がぼつぼつ現れはじめ、漸次増加してきている。
    (6) ところで、福島駅周辺には、特に視力障害者のための福祉施設というものはなく、また、周辺の道路等の公共施設が視力障害者用に整備されているということもない。同駅を利用する視力障害者の乗降客は月間数名程度にすぎず、本件事故以前に、特に同駅について点字ブロック等の設置が要望されたというようなこともなかった。
   (四) 国鉄(東海道線京都神戸間及び大阪環状線)並びに大阪市内及び近郊の鉄道交通機関(市営地下鉄御堂筋線、阪急神戸線、阪神、近鉄、南海)の、福傷駅と同規模の名駅におけるホーム上の駅員の配置状況は、昭和54年5月頃の調査で、朝夕のラッシュアワーに二名、その他の時間帯に一名という構成、ないしは、それ以下の場合が大多数である。なお、前記認定の福島駅のホームの幅員は、右同規模の各駅のそれに比べれば、比較的広く、余裕のある部類に属する。
  3 被告のように一般旅客の大量輸送を目的とする鉄道交通機関は、そこに内在する危険にかんがみ、当然、旅客の安全確保のために必要な人的物的施設を整備すべき義務を負うものであるが、なお、身体障害者である利用者に対する安全施設の拡大充実にも努力すべきものと解される。もっとも、右後者の場合は、大量輸送を行なう企業に、視力障害者等極く一部の利用者に固有の事情によって生ずる危険から、その安全を確保するために、加重された施設の整備を求めるのであるから、それは、基本的には当該企業の公共性、社会性に由来する要請であるというべく、その公共性の程度に差がありうるとはいえ、これを法律上の義務として要求するには、自ら限界があるものといわざるをえない。のみならず、それが、既に評価の定着したものではない、比較的新しい時期に第三者によって開発された手段を採用するというような場合には、その開発から採用までに相当程度手間取ることがあっても、それはやむをえないことであり、同種の危険が頻発するために応急の措置を必要とする程の切迫した要請があるような場合は格別、その間、右手段による整備がなされていなかったことをもつて、違法ということはできないところである。
    右のような見地から本件をみるに、前記認定2の(一)、同(三)の(2)の事実によれば、福島駅ホームは、視力障害者にとつて転落する危険性の高い場所であるから、視力障害者がホーム縁端を容易に感知することができるような安全施設があることが望ましく、点字ブロック等は、一応その役割を果すに足りると考えられるものではあるが、同(三)の(3)ないし(6)の認定事実にあらわれた、本件事故当時における、点字ブロック等の普及の程度や、視力障害者である旅客の福島駅の利用状況等にかんがみれば、本件事故当時、被告に、福島駅のホームに点字ブロック等を敷設しておくべき法律上の義務があつたとまでは、認めがたいところである。
    なお、ホーム縁端に転落防止用の手摺、柵、ロープ等を設けることについては、それがかえつて一般乗客に危険をもたらすことになりかねないという被告の主張に合理性が認められるし、また、ホーム下の退避用補助施設については、特に採用すべき視力障害者のために有効な具体的手段についての主張があるわけではない。
    次に、ホーム上の駅員の配置は、予め特殊な危険の発生をうかがわせるような特段の事情が存する場合は格別、一般的には、当該駅における利用乗客数及びその時間的変動、電車の発着状況、ホームの構造等を総合考慮して、ホーム上において通常予想される危険から旅客を保護するに足りるだけの人員を配置すれば足りるものと解すべきところ、さきに認定した右の諸点に関する事実関係、就中二の1の(一)ないし(三)、四の2の(四)の事実にかんがみれば、本件事故当時の福島駅におけるホーム上の駅員の配置に不備の違法があつたものとは認めがたいところである。
    以上、本件事故による損害賠償の額を定めるにあたっては、原告が被告に対して福島駅ホームの人的物的施設の不備を理由にその被った損害についての法律上の責任を追求することはできないことを前提として、原告の過失を斟酌すべきことになる。
  4 さきに認定した、本件事故の態様、原告が来阪するに至った経緯、及び、右2の(一)、(二)で認定した事実関係からすると、本件事故当時、原告が介護者を同伴していなかったことはやむをえないところであるが、単身で来阪すれば頻繁に介護者なしで鉄道交通機関を利用するようになることが当然予想される状態にあつた原告としては、予め白杖を所持し、日頃から少しでもその使用に習熟するように努めるべきであつたし、また、それは可能であつたはずであると考えられる。しかるに、原告は、本件事故当時、白杖を所持していなかったのであるから、より慎重に行動すべきところ、旅行と求職のための活動による前夜来の疲労に加えて酒気を帯びているという、注意力が大幅に低下している状態で、危険なホーム上を歩行していて、本件事故に遭遇したものであり、原告において、自己の危険に対処しうる能力を考えて、右らの諸点につきもう少し慎重な態度で行動していれば、本件事故は避けえたものと推認することができるのであつて、本件事故の発生については、原告にも大きな過失があつたものとみざるをえないから、これを斟酌すると、過失相殺として、原告の損害の四割を減ずるのが相当と認められる。
 五 本件事案の内容、審理経過、認容額等に照すと、原告が被告に対して本件事故による損害として賠償を求めうる弁護士費用の額は、150万円とするのが相当であると認められる。
 六 以上の次第で、被告には、原告に対し、金2056万2000円及びうち弁護士費用を除く金1906万2000円に対する本件訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和51年8月3日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告の本訴請求は右の限度で正当であるからこれを認容し、その余の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法89条、92条を、仮執行宣言につき同法196条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。仮執行免脱宣言の申立については、相当でないから、これを却下する。
(富沢達 本田恭一 大西良孝)