大原訴訟の意義
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年表
点字ブロックの普及

あのとき、こんなことが・・ 大原訴訟 エピソード集
仲間たちとの30年ぶりの会合
 あの時、それから、そして今



訴訟資料集
各審級の判決等の訴訟資料を掲載する。
また、大原訴訟は法学の世界でも 注目を集めていた事件であった。
当時の判例集や論文についてのまとめや コメントを付した。
著作権の関係で、文献を掲載することはできないが書誌情報をあげておくので、詳細に興味のある方は 直接文献を当たっていただきたい。
判決文
第一審 判決文
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控訴審 判決文
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上告審 判決文
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判例評釈・論文
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新たな動きのために
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大原闘争年表

1973.08.17 大原さんの転落・両足切断事故発生 
視覚障害者である大原さんが国鉄(現JR西日本)の大阪環状線福島駅ホームから線路上に転落。
進入してきた電車に両脚を轢断された。
1975.03.09 大原斗争勝利討論集会開催
大原さんを支援する会(以下、支援する会という)としての最初の集会。
1975.03.13 大阪鉄道管理局との第一回団体交渉
大原さんを支援する会が国鉄に、事故のあった福島駅のホームの危険性を訴え、改善を要求するも、
国鉄は「駅に欠陥はない」と相手にしなかった。
1975.06.29 大阪鉄道管理局との第二回団体交渉
国鉄回答書に差別的な表現をしたこと及び国鉄の責任逃れに終始する態度について大原さんを支援する会が追求を行う。
1975.07.31  障害者の乗車拒否について京阪電鉄と交渉
大原さんが京阪電鉄に乗車拒否をされたことから、支援する会が同電鉄と交渉をする
1975.12.10   国鉄に対する公開質問状提出。
この要求に対して、国鉄は、大原さんの事故について責任はないとし、
また、点字ブロック設置等の施設改善要求についても受け入れることはできないと回答した。
1975.12.20 国鉄の大阪鉄道管理局内で座り込み抗議
国鉄は支援する会の公開質問状について何の回答も行わなかったことから、
支援する会は大阪鉄道管理局内で座り込み抗議をする。
1976.03.29  国鉄は欠陥なしとの回答
 国鉄から「福島駅ホームに欠陥はなく、国鉄に責任はない」との回答。
1976.07.05 大原訴訟提訴 
大原事件について国鉄の責任を追求する国家賠償請求訴訟を大阪地方裁判所に提訴する。
このときから、約11年間にわたる訴訟が開始された。
1980.12.02 大原訴訟第一審判決(大原さん勝訴)
大原訴訟につき大阪地方裁判所で第一審判決が出される。
大原さんが勝訴したが、その内容は運転手の過失という予想もしないものであった。
そのため、大原さん側としては第1審判決に対して控訴をする。
また、国鉄側も第一審判決を不服として控訴する。
1983.06.29  大原訴訟第二審判決(大原さん勝訴)
大原事件の控訴審である大阪高裁判決が出され、大原さんが勝訴。
判決の内容は、近くに視覚障害者施設がない駅でも危険性がある限り転落防止設備が必要である画期的な内容であった。
国鉄はこの判決を不服として最高裁へ上告する。
1983.12.03  国鉄の上告に対する国鉄本社抗議行動
支援する会が、国鉄の上告に対する国鉄本社に抗議行動をする。
大原さん亡くなる
 1986.03.26 大原訴訟最高裁判決
大原事件の最高裁判決が出され、原判決破棄して大阪高裁に差し戻すというもので、大原さんが逆転敗訴。
判決の内容は、大阪高裁の判決が、
新たな安全設備である点字ブロックの普及の程度や福島駅の視力障害者の利用度との関係での事故発生の
危険性についての検討を加えていない点で誤っているとするものであった。
 1987.04.03  大原訴訟差戻し控訴審和解
最高裁での判決の結果、控訴審でも大原さんに不利な判決が出される可能性があったため苦渋の選択として高裁で和解をした。

約11年にわたる訴訟がこの日で終了した。